インド:1「沐浴と野良牛と不条理な現実で死にそうになる」


インドは好きで、3回くらい行ってる。

バラナシのガンジス川で、初めて沐浴をしてみようと心みた時、見た目のガンジス川の汚さに
うわぁっと思うも、でも、肩まで浸かると、凄いハートが静かになって、気がつけば、
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」とつぶやていた。
それくらい精神がサイレントの状態になった。
でもそんな風に一人で内観していると、すぐ後ろでおばちゃん達がバシャバシャと洗濯大会を始めて、
おばちゃん!もうちょっと!こうさぁ!みたいな。

でもインド人にとってガンジス川は祈りを捧げる聖なる川であると同時に、生活用水として歯を磨いたり、
石鹸で身体を洗ったり、ヘタすると上流からゴミが流れてきていて、しかも子供達が泳いで遊んでいたりする川で。
そんな風にガンジス川はインド人にとっても愛されてる川なのだ。
でも実際、見た目は汚いけど、科学的には透明度が凄まじく高いと証明されていて、
すげえなインド!訳わからん過ぎる!という、いつも不条理な現実を見せてくれるインド、
さすがであると言う結末に持ち越す事になる。

また、インドは牛さんが名物とも聞くけど、確かに野良牛がそこら辺をウロウロしてる。
牛さんと乗用車が並んで信号待ちしてる姿はちょっと目眩がする。

でもバラナシのガンジス川付近の、入り組んだ道は最早牛さん優先で、牛さんが
道の角から出てくるとかなりビックリする。しかもそれが4頭位並んでたりするから、
あー牛さんにも仲良しな牛さんとかもいるのかな。家族かな。仲間かな。とか、ムダに牛へと意識を持っていかされる。

牛さんにそんなに興味を持ってどうする!という事で(何がどうなのかはわからないけど)、
売店でアイスを買う事に。
冷蔵庫の上面に絵が描かれてる、日本のジャイアントコーンみたいなものを買おうとすると売り切れだと。
日本のピノみたいなやつを勧められたけど、何故か、封が空いていたので、衛生的に不安からNG。
(今思っても何故、封が空いていたのか)
最終的にじゃあとオレンジ果汁を固めたオレンジアイスを購入。
当初の予定からは全然違うけど、アイスと言うくくりなので、とりあえずOKとしよう。ここインドだし。
そう。インドは何があっても「ここインドだし」と思えれば、苦もありません。


そして、ガンジス川ほとりで私は、インド人のちびっ子と仲良くなる。
その子は家族のお土産屋さんを手伝わされていて、観光客を騙したり、ボったくったり、
とにかく毎日嘘が身近にある暮らしで、精神的にちょっと不安定で。
それから私は毎日その子と遊んで、「嘘はついてはいけない」「挨拶は大事」
「おじいちゃんおばあちゃんは大事に」人間として大事な事を毎日さりげなく伝えた。
そうしてるうちに、ちびっ子も日に日に情緒も安定してきて、私達は一緒に街を散策したりした。

ちびっ子といると、物売りもやってこなかったし、ぼられたりもしなかった。
正直、カレーとか水とか、買い物するたびに値段交渉をしなきゃいけなかったけど、彼がいてくれて、
お店側もふっかけてこなかったので、そういうのからも免れた。
そういうのに一番エネルギー使わされてたから、凄いラクになった。

チャイ屋のおじさん。その家族。沢山の子供達。素顔のインドが、たくさん垣間見れた。
私が、このちびっ子を救うんだ!位に思っていたけど、本当は、「私の方が、ちびっ子に救われてた」。

バラナシを出発する日、ガネーシャ(インドの像の神様)の小さな置物をプレゼントしてくれて、
私は彼を大きくハグ。また、いつか。


そして、帰国した今も、彼の事は良く思い出す。
連絡先くらい聞いておけば良かった。そしたらまたインドに行った時に逢えるのに。
旅はこういう後悔ばっかり繰り返す。ああすれば良かった。こうすれば良かった。
日常でもそうだけど、その波がとても大きいのが旅なんだ。
でも、それでもその時はそれで最善であったと思うしか無い。

今でも、私の部屋の祭壇、つーか神棚には、彼から貰ったガネーシャが鎮座する。
いつでも、ガンジス川に行けば、またきっと出逢えるよね。と、直感的な予兆を含めて。
私がインドを夢想する度、ガネーシャは、にっこり微笑む。
いつも。



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